親の覚悟                                       中野 和子

 
 平成元年11月(20年前)当事者(6歳) 250CCのバイクにはねられる。

夕方四時ごろの歩行者が一番見えにくい時間帯の事故。

脳挫傷、右足骨折裂傷、右耳裂傷。

その日の真夜中全身麻酔に耐えて足の手術終わる。

親としての覚悟。

 体温調節、塩分調節不能などもあるが何とかクリアーして出血もおさまり6週間後意識を取り戻す。

数日後ストレッチャーのまま移動し一時帰宅。

正月3日病院に戻った後、笑いなどの表情も見られる様になり、その後の回復は目覚ましかった。

 左手に利き手交換(右半身の震えが大きかったので)した上でリハビリに励む。入院は四カ月半という短いものでした。

退院時「子供だから日常生活に早く戻した方のが回復が早いだろう」という主治医の意向でその後のリハビリの指示もなくただ 「家族は厳しく対応して下さい」 というだけだった。

発作を抑える薬は中三まで服用。

 退院時の学力は幼稚園年中〜年長程度。
 読み書きを中心とする学習、ウオーキングからハイキングヘ、水泳、ピアノ、縄跳び等など体や脳の回復につながると思えることは可能な限りやらせる。
 中一頃までは家でも学校でも順調に回復しているように見えました。

 小学校五年生頃からイジメが始まる。しかし学校の指導もあり楽しく過ごすが、中学校に入り特に二年生頃から記憶障害や社会的な行動の面での障害があらわれる。

又集団的取り組みを尊重する校風のせいか足手まといになる者への風当たりはとても厳しく同学年の生徒だけでなく先生や父母からも無理解な言動で傷つけられることも多く、全く笑うことのない子供になってしまった。

それからは守る意味もあって、高校は全寮制の他県の高校へ進学。

 中二の頃家族は新聞の医学欄を見て認識。本人は高校卒業後の経験の中で認識(デザインの勉強やアルバイトの失敗など)

 友の会入会後、精神科でまず認定され手帳の交付を受ける。 五年前(受傷後15年経過)。
 年金はやっと昨年(平成20年)。
 秋から必要な書類準備するのに医療機関とのやりとり等大変なエネルギーを要した。
 天気などに体調が大きく左右され又気分も激しく変化する。あらゆることが上手くいかないと感じているらしく、この夏から精神科への通院も再開。薬も一種類増えた。
 就職は見えない障害であるため企業の対応も悪い(ハローワークの集団面接会であっても)不合格の通知すら届かない。

家族関係においてはとても難しい。

特に当事者の姉や兄は大きな我慢を長い間強いられて育っており、今同居している姉との関係は本人の調子が悪い今夏は最悪だった(姉は弟のすべてを受け止めきれないでいる)。

 交通事故の加害者、被害者に絶対にならないように、目に見えないこの障害に理解を、身近にこのような人が居たら手を差し伸べてください。