中学卒業して間もなく事故に遭って               
                                                           泉 千恵子

 

 皆様今日は、当事者は息子(長男) です。平成8年4月に交通事故に遭いました。
 3月に中学校の卒業式をして、中学校のサッカー部の仲間五人で「日本平さくらマラソン」に参加しました。
頑張って時間内には完走できました。進路は自分で決めた専門学校に、入学式はここ県立大学の講堂で行われました。

桜の季節でしたので友達と夜桜を見に行って、その帰りでした。友達から交通事故の知らせが入りましたがその時は「足の骨折」くらいと思って事故現場に行ってみたら、そこには血の海の中に横たわっている息子がいました。

その時はまだ救急車も着いていなく、一分一秒が長く思えました。病院に着き診察の結果、頭部外傷と鎖骨、左足骨折との事でした。CT映像の結果、脳内出血があり1時間毎にCT映像を撮り、出血が治まれば開頭はしなくても済むと言われました。

おかげ様で出血は治まり一つクリアしたと思いましたが、今度は点滴を7本もしていたら高熱が続き何が原因か解からず、何回も血液検査し、東京まで検査に出しましたが原因は解かりませんでした。

体は痩せ細り血管も細くなり点滴が漏れてしまい、腕は 「力こぶ」 の様に腫れ上がりアイシングの毎日でした。点滴も1つ、また1つと外れ、リンパにしていた点滴が外れると高熱が下がり始めました。

五週目に入っても意識が戻らない為、脊髄に注射を二日おきに10本しました。この注射はとても痛いとの事ですが意識がない為、辛いところを見ずに済みました。

八週目でかすかな声が出て、リハビリで泣くと先生が 「もっと大きな声で泣いて」と言いました。ナースステーションでチョコレートとヨーグルトを口につけて食べるか反応を見ていた様です。その三日後にポテトチップスを口につけてみると食べ、これがきっかけで食事が摂れる様になりました。

そして始めての外泊が始まりました。自宅に帰りますが左足骨折手術をしている為お尻でキッチンにズコズコと行き冷蔵庫の前に行くと野菜室を開けました。言葉も 「イヤ」 「行く」 「ウン」 などと単語が話せるようになりました。しばらくすると声を出して良くお喋りしましたが何を言っているのか聞き取れませんでした。

しかしここまで来ると順調に回復していると思っていました。七ケ月の入院生活も終わり家に帰ってきて変化が現れ怒りぽくなり、暴れる様になりました。感情のコントロールの低下です。   

脳外科から精神科に回され1ケ月の入院となりました。家の中は 「パンチ」 で穴を開け最初は直していましたが、今は日にちを書いて記念にしています。食卓の椅子も壊し自分でボンドを買い、直そうとしますが出来ず父親に頼みますが直すまでしつこくせがみます。

感情が治まらなくなると両親に 「てめえ」 「きさま」 「この野郎」などと罵声を上げますが、こちらも負けてはいられませんので 「誰にお世話してもらってる?」 それなら 「自分のことは自分でどうぞ」 と言い返しています。

精神科で 「頭は三歳だが口は大人だから」 と言われましたが本当にその通りです。交通事故に遭ってから丸13年、高次脳機能障害と診断されて五年、当事者も私達もまだまだこれから長い葛藤が続きます。いっけん見た目では解からない高次脳機能障害者に少しでも手を差し伸べて頂ける事をお願いして終わらせて戴きます。