これまでを振り返って

                                                                                                                小関 理子

 我が家の当事者は、主人です。

 高次脳機能障害になつた原因は、平成19年11月20日仕事中(スクーターでの移動中)の交通事故でした。

 当時、上の娘は6才、下の娘が5ケ月、私自身は育児休暇中でした。

 救急隊員の方が主人の携帯電話を使って、私に連絡をくれました。

 主人の声ではないことから、「何かあった」と直感しました。

  『ご主人が事故に遭われました。搬送先は〇〇病院です。あわてずに病院まで来て下さい。住所を教えて下さい。』という電話だったと記憶しています。

 引越しをしてから、なかなか覚えられなかった番地を間違えずに答えられたことで、「自分は大丈夫!ちゃんと運転して病院まで行ける」と思うことができて、次には、「意識はありますか?」という質問もできました。

 『ありません。』という予想していた答えに、ぐちゃぐちゃの主人の姿を想像しました。

 実際、見た目は本当にきれいで、ただ寝ているようでした。

 

 余談なのですが、私の父が17年ほど前に脳梗塞で倒れていて、家族が救急搬送されたのも、ICUに入るのも、意識がない人をみるのも2回目でした。父は2カ月で退院、予後も経過がよく、多少の麻痺がありますが、仕事に復帰して車の運転もしています。退職後も別の仕事に就き、68歳である今も働いています。

 ただ性格的に少し変わったり、頑固で人の意見を聞かなくなったり、今考えると高次脳機能障害っぼいところもありました。

 父が復活した経緯を見ていたので、「たぶん大丈夫。だんなさんは私達を置いて死ぬわけがない。」と変な自信がありました。

 

 事故当日の医師からの説明は次のようなもの.でした。

 ・脳全体に強いダメージを受けている。

 ・脳幹に流れ出るような出血があるが、溜まってしまうようなものではない。

 ・脳障害の進行を防ぐ為に、全身管理行う。

 ・脳浮腫で危ない状態になることが考えられる。

   その場合は開頭手術も考える。

 ・何らかの障害(おそらくは高次脳機能障害) が残る可能性がある。

 

  私が説明を聞いて、バッと思い浮かんだのが、  娘の結婚式に、車椅子で出席している主人。

  表情があまりなくボーツとしているけれど、普段より少しうれしそう。という光景でした。

  「生きていてくれればいい。意志の疎通ができて、YESかNOがわかれば万々歳。」と思っていました。

 私は事故当日に元通りはない、と思っていためずらしい家族だと思います。

 主人は本当にいい人で、「何で私と結婚したのかなあ???」と思うことがよくあったのですが、「こういう事故に遭うことが決まっていたから、私と結婚したんだなあ」と変に納得したことを覚えています。

 それでも、「命を落とす危険がある」と言われていた3〜4日の間は、家に戻って子ども達が寝てしまい一人になった瞬間、泣き崩れていました。立っていられませんでした。外面がいいのか、気を張っていたのか、人前では大泣きは出来ませんでした。

  神奈川の実家から、母が駆けつけてくれる前にも、電話で「大丈夫だから、来なくていいよ」と言っていました。本当は母の顔を見たら、気を張っていられなくなるだろうと思って、強がりから出た言葉でした。

 

 当時「高次脳機能障害」についての知識は、ほんの少しだけありました。

 ・ニュースで聞いたことがある。

 ・交通事故の後遺症として、後から分かることがある。

 ・賠償責任を問うことが難しくなって、問題になっている。

 ということは知っていました。

 高次脳機能障害について、当時の主治医から説明されたのは

 『暗黙の了解 がわからない』

 『いい塩梅 というのが難しくなる』

 『ある所までは劇的に良くなる。その後はゆるやかな変化で長期戦になる』

 今では「なるほどその通りー」と思えるのですが、当時はいまいち障害像が浮かばなくて、今後が想像できなかったと記憶しています。

 数週間後、少し状態が落ち着いてから (と言っても、胸の辺りを強くつつくと少し逃げるような素振りを見せる程度の反応でしたが…)今後の予想される姿についての医師からの説明で、

 『最高の状態 =1年後スーツを着て、一人で挨拶をしに病院まで来られる。仕事ができるかどうかということは、また別の話…』

 『最低の状態 =意識レベルが低すぎる、若いということで、病院や施設など次の受け入れ先を見つけるのが困難』

 という話を聞きました。

 私は身体に障害が残って、意思の疎通もできるかどうか、というようなことを想像していたので、「予想以上思っていたよりいいじゃんすごい」と思いました。

 
 急性期の病院では、意識のほとんどない主人に対して、スタッフの皆さんで「絶対によくなる!!」と思いながら関わってくださっていたように思います。ちょっとしたことにもすぐ反応してくださったことで、チームで関わってくださっているんだなあと感じました。

 リハビリ目的で次の病院に移ってからは、意識がはっきりしてきた分、変わった所が表面化してきました。

 変わった部分をお話しする前に、一つお話ししておきたいのは、変わらなかった部分が多くあるということです。

 たとえば、主人の場合、古い記憶は残っていましたので、家族が誰だかわからないということはありませんでしたし、意識が戻ってきたばかりの時に片言で 「みんな大丈夫か」と家族の心配をしていました。

 他に、社会的行動については抜けてしまうことはありませんでした。

 入院している時、外泊中に試しにコンビニで買い物を一人でさせてみたら、きちんと列に並んで買い物をすることができました。

 変わった部分と変わらなかった部分が混在しているのは、高次脳機能障害の特徴ではないかと思います。

 それでは、以前と変わった部分についてお話します。

 新しく記憶することが困難でしたので、「△△病院の四階にいるらしいんだけど、わかる来られないんじゃないかと思って・・・」と、数時間毎に家族に電話をしてきました。「どこに今いるかわかる」という質問に、病院だと説明しても「ホテルにいる」と言ったりしていました。

 リハビリの療法士さん達が、毎日病室まで迎えに来てくれるのですが「はじめまして」といつも挨拶していました。

 また、食事をしたこと自体を忘れてしまうので「今日は何も口にしていない。」と言ったり「ここでは食事が出ない。俺に死ねっていうのか???」と怒り出したりしていました。

 最初の内、発語・発音が困難でしたが、会話も少しずつ出来るようになりました。しかし、一度途切れてしまうと何の話だったか分からなくなってしまうので、何度も何度も同じ話をしていました。

 一番変だったのは、記憶の混乱によって不安でずっと泣いていました。

 病室に来た私に向かって「もう一生、会えないかと思った。」と、手を握り締めながら毎日号泣していました。

 寝付くことができなくて、夜中ナースステーションで車椅子のまま、話を聞いてもらっていたこともありました。

 病棟のスタッフが高次脳機能障害についてどれ程の知識があったのかはわかりませんが、主人だけでなく家族に対しても「大丈夫、大丈夫」と笑顔で接してくれていたことに、毎日感謝でした。

 

 当時、私は事故関係の処理 (相手・損害保険の関係、警察関係)、家事、育児、仕事と何重にもなっている「自分がやらなければいけないこと」に変な使命感を持って、頑張っていたように思います。多分そんな方ばかりではないと思います。精神的に疲れてしまう家族も多いはずです。

 大丈夫と思っていましたが、頑張りすぎてカウンセリングを受けたりもしました。

 主人の場合は、事故以外は本当にラッキーでした。

 ・事故当初から、高次脳機能障害が残るであろうことが予想されていた。

 ・転院先の主治医が、高次脳機能障害に詳しい、家族会の顧問でもある片桐先生だった。

 ・職場の理解があった。

 これは家族会に入会して、色々な方からお話しを聞くようになってわ
かったことだったのですが、多くの当事者・家族が因っていることは次のようなことです。

 ・何かがおかしい。

 ・なぜ受傷前と同じようにできないのかわからない。

 ・病院に相談してもわからない。

 ・退院後の拠り所・相談先がない。

 ・職場の理解がなくて、退職せざるをえなくなった。

 高次脳機能障害を広く世間に知っていただき、この障害に対する理解がもっと深まるよう、脳外傷友の会「しずおか」では、月一回の勉強会・年三回の講演会・会報の発行などの啓蒙活動や、県が行っている相談会への参加などをしています。

 一般には知られていなくて、高次脳機能障害だと気づかずに悩んでいる当事者や家族がまだまだ多くいるのではないか、と言われています。

 

 最近の主人の状況です。

 医療ソーシャルワーカーを通じて、病院・職場・静岡障害者職業センター・ジョブコーチ・本人・家族で今後について話し合いをし、復職に向けたリハビリを組み込んでもらいました。

 トライアルワークを経て、昨年4月より元の職場に事務補助 (アルバイト) として復職 (週5日・5時間/日) をしています。

 丸4年たって少しずつ 「自分には高次脳機能障害という障害があるようだ」ということが分かり始めたようですが、生活の中では直接結びつくことはありません。

 主人の場合は、高次脳機能障害についてはものすごく知りたいと思っているようです。が、対応策が自分に必要だ、という感覚はあまりないようです。

 時には混乱して、パニックになることもあります。

 どうしても 『普通だった頃の自分』 が消せなくて、主人が一番つらい思いをしているのだと思います。

 

 私は主人が高次脳機能障害であることを理解していますし、しょうがないと思っています。
 それでも、毎日毎日イライラしています。

 現在、我が家ではみんながギヤーギヤー叫んでいるような状態です。

 今は4年生と4歳になった娘達にもよい影響はないだろう、と思っています。どうやって大きくなっていくのか、高次脳機能障害をどう考えているのか、これから先どう考えていくのか、心配はつきません。

 私が一番つらいのは、今でも大好きな主人にギヤーギヤー怒鳴り散らしている自分の姿です。

 大好きな人に自分は何やっているのだろうと毎日反省しています。

 主人の悲しい顔を見るのがつらいです。

 

 脳外傷友の会「しずおか」には10年・20年という先輩当事者・家族がいて、『みんなそうだったのよ、大丈夫よ』 と家族である私自身の気持ちを受け止めてくださっています。

 当事者の主人も同じなのではないかと思います。

 早く2人でのんびりできる、老後を迎えたいと願っている毎日です。

 先ほどもお話ししましたが、まだまだ高次脳機能障害は、広く一般に知られていないと感じています。

 誰がいつこの障害を持つかわからない、もしかしたら今日これから、私が事故にあったり、脳の病気で倒れて高次脳機能障害になったりするかもしれないのです。

 今日お話しを聞いていただいて、高次脳機能障害をこれまでより少し身近に感じていただけたら…と、願っています。

 

 今回の会報(Vol.36・・・本ホームページメニューの2番から5番の事例)は当事者・家族からの体験談です。
 急性期の病院から回復期のリハビリを経て退院した後、当事者・家族がどのように生活しているかが窺い知れる内容です。
 病院関係の皆様・施設の皆様・支援して下さっている皆様、どうぞ地域に戻った当事者・家族がどのような生活ぶりをしているか。
 今一度思い出し、当事者の事を思い出してあげて下さい。