「僕って障害者」 ?

                                                             堀 享子

 みなさんおはようございます。

 皆さん、健康ですか?健康って何ですか?健康という言葉から、どんな事を想像しますか?

 勿論、五体の事をばかりでなく、もし蹟いて頭を床や柱にぶつけた時、あるいは車やオートバイ・自転車が誤ってぶつかってきたり、ぶつけてしまったり何事もなければ、その時は良いかも知れませんが、五分・十分経ってから吐き気をもようし、その後暫くしてから意識を無くして倒れてしまう。

 こんな事はいくらでもあります。先程まで健康だった人が一瞬の出来事で取り返しのつかない事になることは、皆さんの身の回りにも、何時起こるかもしれません。

 今から、11年前の平成12年11月。

 中学校野球部での部活活動中での事故でした。当日は雨だった為に、室内練習中。

 倒立をしている時に、顔が真っ赤になるのが面白かったのか…?

 もう一度やってみよう。今度は息を止めてやってみよう。

 その後、立った瞬間ひっくり返り、頭部打撃し意識低下・顔面麻痺・低酸素脳症等の症状、意識不明。植物人間のように起きる事もなく、二ケ月近く生死を彷徨いました。医師から「命が助かったとしても半身麻痺もしくは、現状のようにこのまま植物人間になる可能性があります」と言われ、どうか命だけは助かって欲しいと毎日泣いていました。
 こんなちょっとした出来事が、その後の一生に関わる出来ごとになってしまいます。

 生死を彷徨っている時、野球部の練習中の声をカセットテープに吹き込み、クラスメートの声、家族の声も吹き込みました。テープがちぎれるほど何度も何度も聞かせ続けていました。

 その内に反応が少しずつ出てきて、或る日、突然に目が覚めて、私達の顔を見て涙を流しました。

 その時の感激と感動は今でも忘れる事は出来ません。と同時に声が出ない事に気づき、看護士さんが作成してくれた五十音表を見ながら、話したい事を指で差しながらアイコンタクトを取っている内に、奇跡的に声がでました。
 また、涙・涙です。そして、三か月間余りの入院生活で足
の筋肉・筋力は衰えてしまい、歩行困難になっていました。

 歩く訓練を始め、本人の努力もさながら、少しずつ普通に歩く事が出来るようになり、またまた涙・涙・涙です。

 退院後

 元気になって来たと同時に、ちょっとした事でも怒りっぽくなったり、ホームセンターへ行った時は、車を何処に駐車したのかを忘れてしまったり、デパートへ行ってもトイレに行ったきり待ち合わせ場所になかなか来ない。今、自分が何処にいるのか?方向が解らないようでした。

 一度に色々な事があるとパニックを起こす。同時に二つの事が出来ない等、今まで普通に出来ていた事が出来ないイライラ・ストレス等で落ち込んでしまう事が多くなり、いったい自分はどうしたんだろう・・・ いったい自分の中で何が起こっているのか?
 何で・・・何で・・・どうして・・・と、この十年間「見えない障害」と本人は闘っていたのです。

 私も、当時の脳外科・神経内科の先生に何度となく、息子は「高次脳機能障害」では?無いですか?と聞いても・・・医師は「う〜んその様な気もするが、高次脳機能障害の事は余り知らないのですよ」と言われ話は終わってしまう。

 「最近怒りっぽくなってきた」と言っても、丁度 反抗期の時期だからね。との答えしか返って来ませんでした。おかしい何か変だと思いながらもきちっとした障害像を言われぬまま、気がついたら十年の歳月が経っていました。

 私の頭の中は事故当時のまま。医者が知らないものは誰も知らないんだと思いこみ、ドクターのせいにしていた自分自身が情けなく、私は何でインターネット等で調べなかったのだろうと悔やみました。当事者が一番辛く、苦しんで居たかと思うと家族の苦しみは、僅かなものにしか過ぎないと思いました。

 両親だけでなく、姉妹も一体弟は、どうしてしまったのかと随分悩みました。余り刺激を与えない様に「おとうふ」を触るかのような対応をずっとしてきました。当事者である本人もそうだったのかも知れませんが、姉妹・両親共にストレスが随分溜まった十年間でした。そして、この十年間の疑問・理解に苦しむ事が全て障害からくるものだったと解った時

「僕は障害者だったの?」 

「何処が障害者なの?」

 と外見上からは全く判断が出来ないくらい健康になった自分を見て、自分が思い描いている障害者像とのギャップに、また、悩み、苦しみ、理解出来ないでいました。

 私達は、「友の会」 に入会させていただき、この一年講演会・勉強会等参加させていただく内に、障害と向き合い、障害を受け入れようと思い始めて、少しずつ明るくなってきたように思います。

 また、家族全員、心のもやもやが吹っ切れ、障害と向き合う事の重要性が解り、障害を家族全員で受け入れようと決心しました。

 このように息子が十年間「見えない障害」 に悩んでいたのに何もしてあげられなかった私でしたが、脳のどの部位が損傷されると、どの様な影響がでるのか知っておきたい、知りたいという気持ちから、今、「薬学」 の勉強を始めました。

 最終的に「登録販売者」 の資格を取得する為、頑張っています。

 脳血管疾患の授業の中で「高次脳機能障害」という言葉を耳にした時、何とも言えない嬉しさと感動を覚えました。

 授業で取り上げられる程、「高次脳機能障害」という障害を認めてくれるようになったのかと、これからも当事者がどんどん増えていく障害であると思います。専門用語もいっばいでてきますが、病気にならない、事故を起こさない等は当たり前の事ですが、身体の大切さ・食事のバランスの大切さ・が解り自分も気をつけなくてはという意識に変わりました。

 周りの人は暑くないのに、一人で汗をかき冷房をガンガンかける事も自律神経の中枢である視床下部がダメージを受けると温度調節がうまくとれないという意識になりました。また、大脳の前頭葉・側頭葉・頭頂葉も損傷された為に、一つの事にこだわりやすかったり、テキパキと要領よく出来ない為、途中で混乱する等、脳のどこの部位が傷ついても何かしらの障害が起こってしまう事を考えれば、健康であるありがた身が良く解ります。

 姉妹や友人、家族が理解してあげる、解ってあげられる事が、一番の薬のような気がします。

 当事者が「見えない障害」と十年間闘っていた間、その苦しみを解ってあげられなかった想いから、一つは「薬学」をもう一つは「心理学」の勉強も始めたいと思っています。それから学んだ事を少しでも支援が出来るように頑張りたいと思います。

 十年たった今でも思い出しては涙する時もあります。まだまだ、心の整理が出来ない自分もいます。

 でも、前を向いて歩いていくしかありません。

 外見上は五体満足なので、障害者だと言わない限り解りません。是非一般者への理解・医師・医学生・関係官庁等の理解が増すことを願います。

 そして、「高次脳機能障害」という障害を一人でも多くの方に知っていただき、何がしらの手助けをしていただける人が増える事を願っています。

 本日はご静聴ありがとうございました。