ヘルペスと出会って…

                             静岡市 板倉 輝子

 元気だった息子。小二の頃からサッカーに明け暮れていた息子。そんな息子が単純ヘルペス脳炎にかかるとは全く予想だに出来ない出来事でした。

 今から二十六年前の高校三年の十二月・・・冬休み間近かでした。

 頭痛を訴える息子。祖母の係付け医に診てもらいました。「風邪の様だが喉は赤くないし、取りあえず風邪薬を出しておきましょう。」という事で風邪薬をいただいてきました。

 十二月三十日

 突然の三十八度の高熱びつくりして済生会病院へ

 冬休みなので検査は受けられず点滴のみ ただ白血球が異常に多いので、多分感染症でしょうとの事でした。

 一月四日の外来の日に来るように言われ、帰宅しました。

 ところが

 一月二日 夕食時に呂律が回らなくなり引付を起こしました。 

 急いで救急車で病院へ 即入院となりました。医師はこれだけ酷い症状なので、直ぐにヘルペスの特効薬を使用したと言い、三年前なら助からなかっただろうと、言われました。えつー・そんなに酷い病気だったとは・・・血の気が引くほどと同時に何と楽天的な親だった事も悔やみました。

 暫く昏睡状態が続き、熟も下がらず・・・昼夜を問わず身体を冷し続けました。

 一週間ほどたった時、熟も下がり本人の意識も戻ってきました。

 この調子なら、普通の生活に戻れそうだと言われ、身体の力が抜けていくのがわかりました。

 そして、医師はまた、この特効薬は肝臓を痛めるので、一時中止します。との事でした。

 しかし、それから二日後

 ヘルペスがまた暴れだし、前よりも酷い状態になりました。

 えつー・どうして…病院の中なのに…安全だと思っていた病院の中での発作に行き場の無い怒りがこみ上げてきました。

 早くに特効薬を止めたからではないか。そう思いながらもどうする事も出来ませんでした。

 二度目の発作は酷く。

 身体は硬直、熱は下がらず、床ずれも出来てしまいました。

 ただ、その間の看護婦さんの献身的な看護にはどんなにか助けられました。おかげで徐々に熟も下がり始め、意識も戻りだしましたが、時にはうわごとを言ったり、ある時はガバッと起き上がったり、看護婦さんに抱き着こうとしたり、やたらに水を欲しがったり、落ち着く過程で色々な現象が現れ、脳の機能の不思議さを見せつけられました。

 我が家は当時四人家族 祖母・父親・息子・私。長男は大学で下宿生活。

 当時は、私も働いていましたので、祖母には昼間、夕方から寝泊まり、主人は送迎と分担し、長男は休みの時には加わって退院までの九ケ月間を乗り切ってきました。

 退院時の知能テストの結果 IQは境界線…ただし状況判断と記銘力はゼロ(0)に近いものでした。

 又、前頭前野がやられているので、自分の意思が働かない。言われた事はやるが自分から手出しはしない。

 理学療法士からは出来るだけ早くリハビリをするように言われました。

 とにかく何かやらせなければ…そう思って犬を飼いその世話をさせる事にしました。

 生後五十日の可愛い秋田犬。

 朝夕の散歩・小屋の掃除・餌やり・初めは言わなければやりませんでしたが、日数を重ねるに従って、自発的に犬の世話ができるようになりました。

 少しずつ、本人の意思も感じられるようになり、町内の人達に話し掛けられると、声には出しません
が、にっこりほほ笑む姿も見られるようになってきました。

 退院直後は、素直すぎて昔の面影が感じられなかったのに、段々と自己主張するようになつても来ました。

 家の中で出来る事として、計算ドリルや新聞の天声人語をノートに写させたりしましたが、余り長続きしませんでした。

 保健所でやっている若草クラブにも五年程通いましたが、自我が目覚めるにつれて、どうしてこのような所に行かなければいけないのか?と拒否され、静岡市内のひこばえ作業所に行く事にしましたが、一年足らずで障害の理解がされず、また得られず・・・・・辞めざるを得ませんでした。

 また、十二年飼った犬も寿命には勝てず死に、本人の役目も消滅。外へ出掛ける機会も少なくなりました。

 そこで、父親と三人でゲームをしたり、努めて旅行に出掛けたり、出来るだけ刺激を与える気配りをしました。

 本人にしたい事を聞いてみても、「何もしたくない」と答えるばかり まだ、高校三年のままで、受験の事しか頭に無いようでした。

 知的障害でもなく、精神障害とも言い切れない・・・丁度二つの障害の狭間にある障害。

 そう思いつつもその窓口が見つからない。

 そんな時、高次脳機能障害の記事が新聞に出ているのを見て、息子はこの障害だと確信して、この会に入会させていただきました。

 しかし、実際に入会してみると、一口に、高次脳機能障害と言っても、脳の受けた部位によって症状は様々な現れ方をする事も解り、リハビリの大変さも解りました。ただ一つ言える事は、人と接することは最大のリハビリだという事です。

 家族以外に声を掛けてもらう機会の少ない息子にとって、ここで声を掛けてもらう事は、何よりのリハビリだと思っています。

 よく声を掛けて下さる滝川さんはじめ、皆々様に感謝しつつ、あるがままの息子を受け入れて行こうと思っています。

 今までと違う価値観を教えてくれた息子に感謝しつつ、人が生きて行く上で大切なことって…何だろうと考えるこの頃です。

最後に、 命より大切なものの存在を考えさせてくれた・・・星野富弘さんの詩を紹介させていただきます。

      いのちが一番大切だと  思っていたころ

         生きるのが    苦しかった

     いのちより  大切なものが  あると知った日

         生きるのが    嬉しかった