高次脳機能障害地域支援従事者研修で発表した内容です。

                                                                      佐藤 公之
 
 障害名は高次脳機能障害です。以前は陸上自衛隊で勤務(千葉県)していました。駐屯地でミサイルの整備をしていました。

 二〇〇四年八月、自宅(官舎) で脳内出血で倒れてしまい、意識が三ケ月なく、戻った時には車椅子に乗っていました。
 口もきけなかったのでノートで筆談していました。入院中には歩行訓練・言語リハビリをし、退院し官舎でリハビリをしていました。 二〇〇五年 復職し事務室で勤務していましたが、よく「ボー」っとしていました。

 二〇〇八年十二月、体調不良により退職し千葉県から三島市へ転居してきました。生活していく上でいつもと何かが違う、人から指示されないと何もできないという状態でした。そこで、相談支援センターきさらぎへ相談しました。

 二〇〇九年 フジ虎ノ門病院で高次脳機能障害と診断され、リハビリを受け始めました。当初のリハビリは数分程度、パソコンを使ってのリハビリでした。

 その後、一日のリハビリになり、三島から御殿場まで徒歩・電車を使っての通院でした。

 リハビリの内容はパソコン (エクセル)を使ってのスケジュールの作成(日誌)をしました。また、表の作成 (数時入力)もしました。施設内の清掃やパズル・模型などもやりました。リハビリ施設の訪問車を使っての車内清掃もしました。その間に転居をし、三島市から裾野市へ転居した為、バスで病院へ通いました。その時はリハビリをしていて本当に良くなるのかと思っていました。

 その後リハビリを終え沼津市にある共生会きさらぎに通所、就労移行でお土産用の箱折りや引っ越しの布団袋のノリ付けをしました。集団面接会にも行ったりもしました。心の中では早く就職したいとあせっていました。

 二〇一〇年、きさらぎのセンター長から話がありスーパー「エース」に就職。ジョブコーチを使ってのトライアル雇用がスタートしました。

 心の中では仕事が決まってよかったと思いました。仕事の内容は店舗内の清掃・駐車場の清掃。カートの片付け作業をやりつつ、ビールや日本酒の空ビンの片付けもしたりと、昼十二時までの仕事です。

 二〇一一年一月トライアル雇用が終了し、現在も働いています。朝は七時三〇分に職場に入り店内のモップ、水ぶきをしています。九時に開店して外に出て駐車場の清掃・カートの片付け、ビールや日本酒の空ビンの片付けを今でもしています。九時の開店までにいろいろと工夫して作業をしています。

 今までにうれしかったことは、きさらぎで友人ができたことで、彼とは今メールをしています。話しかけてくれる社員がいること。いつも開店の九時に仕事が間に合っていること。東日本大震災が起きた時にエースの店内では酒ビンが割れてしまい、修複作業が開店までに間に合ったこと。お客様に「大変だけど頑張ってね」と声をかけてきてくれた時はうれしかったです。

 障害を負って困ってしまったことは、同じことを何度も言ってしまうこと。物事に固執してしまうこと。話を人にうまくつたえられないこと。

 人の話は聞かないで自分の話ばかりすること。話をする時に早口になってしまうこと。自分の障害を認識していない時があること。後遺症で半盲であるため、左側のものを見落としてしまうことがあること。記憶の障害で物事をすぐに忘れてしまうことです。

 現在では、メモ帳を肌身離さず持っています。人、家族とコミュニケーションを取るようにしています。他人に迷惑をかけないようにしています。早口なので人と話をする時に即答しないで、一息ついてから話すように心がけています。

 就職た今、現在半日 (十二時) までの仕事が一日になるように、真面目に頑張って行きたいです。家族には千葉から三島・裾野にきてから色々と支えてくれていたので、少しずつ恩返しをしていきたいです。妻には、入院当初から現在まで支えてくれて感謝しています。五月に子供が生まれたので親子三人で頑張っていこうと思います。

 最後に…あきらめずにやればできることを信じて、一緒に頑張っていけたらと思います。

         続いて奥様からのお話です。

                                                            佐藤 公之 妻

  私達が、高次脳機能障害について知ったのは、三年前でした。倒れて五年が経っていました。

  元の仕事に戻れて何年かたった頃から、人間関係・仕事の内容で上手くいかなくなり、私が職場に呼び出される事が多くなりました。

  その時は、高次脳機能障害の事は全く知らなかったので、何でだろう?どうしたらいいんだろう…と毎日思っていました。

  そして、本で障害の事を知り、職場の人達にも解ってもらいたくて、本を持って行きました。

  しかし、上司は本を開くどころか、手にとってもくれませんでした。

  その時、もう駄目だなと思いました。

  このまま、この職場にいても二人ともおかしくなると思い、仕事を辞める事にしました。

  私の、地元に戻る事になった時、私の母が市役所に相談に行ってくれました。そこできさらぎ (東部地区支援拠点) の事を知り、引っ越して直ぐに会ってもらい色々話しました。

 そして、御殿場にあるフジ虎の門病院での検査を勧められて、初めて高次脳機能障害と診断されました。

 その時、ホッとしたのを憶えています。

 今、夫は半日ですがアルバイトで働いています。

 診断されてから、就職に向けてリハビリを受けたり、きさらぎへ通ったりしていました。その間、次の段階へ進む時は色々な立場の方達が意見を出してくれ、話し合ってくれました。

 リハビリの先生・きさらぎの方・ハローワークの方・障害者職業センターの方・障害福祉課の方等です。それまで、自分たちだけで考えて不安になりながらやって来たので、専門の方達が、その時、その時で一番良いと思われる方へ導いてくれたので、安心できました。

 今は、時々ジョブコーチが職場の方に様子を見に来てくれます。

 私は、自分で職場と連絡せずにいられる精神的なストレスが少なくなりました。

 きさらぎの方もリハビリの先生も、定期的に連絡を下さいます。

 今月(十一月)からは週一ぐらいで、言語のリハビリにも行くようになりました。私が、仕事をしていく上での問題を相談したら、提案された事でした。自分達では、思いつかない事だったので、嬉しかったです。

 仕事を半日から一日にする事を目標に皆さんに協力していただきながら、これからも夫をサポート出来ればと思います。